政治“家”改革!

「政治不信」の負の連鎖を止めるために

~政治の信頼回復になぜ「政治改革」が必要なのか?~

「政治」という言葉から浮かぶイメージは?

皆さんは「政治」と聞いて、どんなイメージを思い浮かべますか。「興味がない」「何をしているのか分からない」「信用できない」など、ネガティブな印象を持つ方が大半ではないでしょうか。

成人になれば国民の誰もが投票に参加できる「完全普通選挙」が日本で始まってから今年で74年、「政治」はなぜこれほど国民の関心と信頼を失ってしまったのでしょう。

 

「政治」が “みんなのもの” ではなかった時代

国のトップが全ての権力を握っていたヨーロッパの「絶対王政」時代は、王様の決定に異を唱えることは決して許されませんでした。ある日、王様が「来年から税金を倍にする」と突然言い出しても、「はい」と言うしかありません。

日本もかつては一部の権力者だけが社会の仕組みを動かしていて、大多数の庶民にとって「みんなで政治に関わる」という発想も制度もなく、一揆などの実力行使に訴えるしかありませんでした。

 

「民主主義」のメリットって何だろう?

今では、法律や税金の使い道など「社会の大事なこと」を決める代表を、私たちは選挙でみずから選ぶことができます。選んだ人に不満があれば次の選挙で落とすこともできますし、良いと思う候補者がいなければ自分自身で選挙に出ることもできます。

人々の代表をみんなで決める「選挙」という仕組みが、現在「最もメリットが大きい」とされているのは、「社会の大事なことを決める人」と「決められたルールに従う人々」が選挙を通じてイコールでつながっているからなのです。

 

「政治不信」は「政治不信」

戦後の高度経済成長からバブル期、右肩上がりの経済を背景に「政治」という仕組みが果たしてきた役割の一つは、「利益の分配」でした。しかし、人口減少が目に見える危機となった今、「負担の分配」も含めて誠実に議論することが最も大切な仕事となりました。

苦しい状況だからこそ、みんなの生活を左右する「社会の大事なこと」を決めているはずの政治が、多くの人々から「信用できない」「興味がない」と見放されている現状は、やはり変えていかなければなりません。「政治が信用されていない」というのは、「政治家が信用されていない」ことと同義です。政治に携わる全員がそのことを真剣に受け止めなければなりません。

 

政治への信頼を取り戻す責任

今後も人口減少とともに国全体が縮小していく中、堂々と開かれた議論で、聞こえの良いことだけではなく「負の側面もある正直な未来予想図」を、ありのままに責任を持って説明し、皆さんにご理解とご納得をいただきながら政治を進めていくには、多くの人が感じている「政治不信」をまず解きほぐす必要があります。

そして、「市民から見た当たり前」と「政治家にとっての当たり前」とのズレを、政治に携わる一人ひとりが解消していこうという努力なしに、失われた政治の信頼を回復することもできないのです。

 

今こそ「政治“家”改革」を

私は、「政治改革」を声高に叫ぶ前にまず自らを律し、常に学び、客観的な事実に基づいて誠実に議論し、自らの行動と言動に対する説明責任を果たし、自身を変革し続ける姿を示す「政治“家”改革」によって、市民目線の「当たり前の政治」を実践します。

“誰もが希望の持てる大府市の未来像” を市民の皆さんと共に語り、実現していくことは、そうした政治家としての信頼の積み重ねなしには成し得ないと思うからです。